代表 朝倉美保からのごあいさつ

みのりの森は、2022年2月1日で設立5年を迎えます。

多くの人に支えられ、さまざまなサービスを展開することができています。
本当にありがとうございます。

朝倉は発達障害・精神障害の当事者

私は24歳の時「うつ病」を発症しました。
最初は軽度だったものが、家族が適切な対応ができなかったことがきっかけで、どんどん悪化していきました。
食べられず、眠れず、歩くこともできず、寝たきりになったこともあります。

自殺未遂を繰り返し、死にたい衝動が抑えられず精神科病院に入院したことが何度もあります。

34歳の時になっても、良くなったり悪化したりの繰り返しで、一向に寛解しないことから
入院して精密検査と心理検査をし直すことになりました。

そして、「発達障害(ASD・ADHD)」の診断がおりました。
また、うつ病ではなく「双極性障害」とも診断されました。

このことがきっかけで、私の人生は大きく動き始めました。

「生まれつき、障害があった」ことで、生きづらかったのだ。
だから、私の病気は「治らない」と受け入れたのです。

「障害」は、周りの人が作り出し、なくしていくもの

私の親は、とても厳しい人たちでした。
教育にもしつけにも世間体にも。

子どもの頃、親が求めることが私の全てでした。
暴力を振るわれても暴言を言われても、どんな努力も認めてもらえなくても、私にとってそれが「普通」でした。

大人になるに従って、それが「異常」であったかを知り、どれほど驚いたかしれません。

うつ病になってからは、親からいろんなことを禁止され、何にも楽しみを見出せない状態になりました。
友人にも会ってはいけない、連絡をしてもいけないと言われた時、何もかもが真っ暗になりました。

精神科のお医者さんから「親と離れなさい」と言われ、それだけを目標にさまざまなことをしました。

それでも、死にたい衝動に駆られ、本当に自殺未遂をして入院したこともあります。
私が何度も何度も精神病院に入院をした時、支えてくれた看護師さんにはとても感謝しました。

私がそんな状態になっても、友人たちは変わらずに接してくれました。
それがどれほど心の支えになったかわかりません。

私にとって「親」は「障害を作り出す」存在でした。
そして「友人」は「障害をなくす」存在でした。

親といればいるほど、生きることがしんどくなりました。

しんどさの「もと」は私の中にあります。
しかし、それを強くするのも弱くするもの「人」次第なのです。

わたしは「わたしらしく」、あなたは「あなたらしく」

30歳になるまで、私は世間一般の「普通」に憧れていました。

偏差値の高い大学に行き、優良企業に就職し、給料を多くもらい、結婚し、子どもを産んで家族で幸せに暮らす。
そんな人生が理想でした。

しかし、努力しても努力しても全くうまくいきません。

29歳の時、「私には、この憧れた生き方はできないんだ」と諦めました。

そして、1から「私が楽しいことはなんだろう?」と考えました。

「子ども」「教えること」「学ぶこと」

これが、今までの人生で楽しかったことでした。

それからフリーランスで家庭教師を始めたことで、少しずつ「自分らしい生き方」を探し始めました。
朝から働かなくてもいい。
しんどくなったら寝ればいい。
やりたいことをやればいい。

少しずつ理由もなくダメなことだと決めつけていたことから解放されていきました。

そして、34歳になって発達障害と診断されたことで、今までの困難さを与えり理解することができるようになりました。

それから、発達障害の当事者として活動するようになり、私は「わたしらしく生きればいいんだ」と実感できるようになりました。

当事者だから寄り添える「みつけて はぐくむ 楽しさを。」

私の強みは「当事者である」ことです。

 幼少期からの虐待経験、うつ病、双極性障害、発達障害、精神病院の入院経験

 学習の困難さ、就職の難しさ、数えきれない転職(正社員、派遣社員、アルバイト)

 2度の結婚・離婚経験、子どもの流産

今までつらかったこと全てが、今の私の強みになっています。

今、つらい人、困っている人の力になりたい。
今を乗り越えれば、その経験が糧になる時が来るのだと伝えたい。

あなたの強みを、すばらしいところを、見つけていきたい。
じっくり時間をかけて、すてきな変化を実現させたい。
明るく前向きな気持ちを、一緒に育んでいきたい。

だから、みのりの森を作りました。

多くの方といっしょに、いろんなことに挑戦していきます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2022年1月1日 代表取締役 朝倉美保